人間嫌い

2001年5月10日
このごろの私は、なんだか人間嫌い。
これには自分のことも含まれる。

 動物を傷つける人間

 ゴミを自然の森に不法投棄する人間
 (雷波少年のゴミ旅には、特に思いをいれて観る。)

 自然破壊する人間

 言葉または無視で人間を傷つける人間


以下はHP「板坂耀子研究室」で見つけた。

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 『雨の日の猫はとことん眠い』など、猫についての名著が多く、動物全般についても豊かな知識を持っている加藤由子氏は最近の著書『賢い猫の遊ばせ方』(高橋書店)で

「私は『動物は好きだけど、人間は嫌い』

という言葉を信じない」と言い、次のように述べる。

「動物はウソをつかない」と言うのは「逃げ」だ。
人を信じるあまりに人のウソに傷ついて、人に背を向けているだけだ。

本当は人を愛したいのに愛せないからとその愛を動物に向けるのは心の歪みだ。

動物は愛の「代償」ではない。

 「代償」になってしまうと、その動物は動物としての生き方を無視されていることになる。

猫には猫の生き方や哲学があり
犬にも犬の生き方や哲学がある。

それぞれの価値観は理解され、大切にされなくてはならないが
我々人間には犬や猫の価値観が完璧に理解できるわけではない。

犬や猫の価値観が人間とは違うことはわかっても
犬や猫の価値観を人が自分の感情として感じることはできないからだ。

価値観の違いを把握する努力が
飼っている動物を幸せにすることだと思うが
そのためには自分の価値観を見つめ直すことが必要だ。

そして自分の価値観を見つめ直す作業とは
人間を理解することであり
本当に人間が嫌いなら、それはできることではないのだ。

 動物が好きな人は、人間も好きなのだ。

犬や猫を幸せにできる人は、自分が好きで人間が好きなのだ。

もし人に何度も裏切られたせいで人間が嫌いになったのなら動物たちとの暮らしの中でいやされてほしい。

犬は飼い主の顔色を見る動物で
猫は社会性のない動物で
人はウソをつく動物だということを理解して
そのうえでもう一度、人間も好きになってほしい。

人とのつきあいに疲れて人に背を向けたのなら

もう一度振り向く勇気を動物たちに貰ってほしい。

犬は犬であるままで飼い主と一緒の幸せをつかもうとする。

猫は猫であるままで自分の幸せをつかもうとする。

人も人間であるままで世間を受け入れなくてはならない。

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人間嫌い街道まっしぐらっぽかったこの頃。
私は歪んでいた。片寄った考え方。
この文章で学んだ。
柔軟であろう。
インターネットの良さがやっとわかってきたこの頃。

そして見つけてしまった。
今日、お気に入りに追加したシクロくんの散歩日記。
とても斬新だった。
これはたまらん。
全部読んでしまった。
どうりで、朝の5時を過ぎている。

普通、言語をつかさどる左脳で読むはずの日記も
シクロくんのを読むのには右脳をいっぱい使う。
楽しすぎる♪
しかし、10月30日(月)『ぼダイじゅノしタデ』には
ウルっとくるんだ。
ジ〜〜〜ン・・・

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